新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
今回は「新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館」へ行ってみた。

「新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館」のレポート。

画家・佐伯祐三のアトリエだった建物を整備して、新宿区が平成22年(2010年)4月28日に開館した。
4月28日は、佐伯の誕生日。

佐伯祐三が米子夫人と結婚し、過ごした家で、1921年(大正11)に完成した。
その後、隣に自分で小部屋を増築した。
そして4年間、この地で過ごした。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「落合に住んだ文化人」が地図に掲載されている。
文学者は、「壺井栄」「林 芙美子」「舟橋聖一」「武者小路実篤」「中野重治」「宮本百合子」「檀一雄」他。
芸術家は、「安井曽太郎」「松本竣介」「中村彜」「里見勝蔵」他。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「新宿区立佐伯公園」内にある。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
佐伯祐三(1898~1928)とは、大阪出身の洋画家。
手塚治虫と同じ「旧制北野中学(現・府立北野高等学校)」に在学し、「東京美術学校(現・藝大)」を卒業後、渡仏。
ブラマンクに師事、ユトリロの影響も受け、パリの街頭風景を数多く描いた。
パリで、30歳の若さで客死。
正に夭折の画家。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「新宿区立 佐伯公園」内

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「記念館の案内図」

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
展示室として公開されているのは、アトリエと小部屋の2箇所。
アトリエは、三角屋根の特徴のある建物。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
アトリエの中は、展示室になっていて、祐三の年譜や作品の写真パネルなどが展示されている。
また、隣接する小部屋の展示室では、画家としても活躍した米子夫人の作品や画業がパネルで紹介されている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
これは、佐伯祐三旧居のミニチュア模型。
米子夫人が暮らしていた、昭和40年代から昭和50年代の写真をもとに作られたもの。
アトリエの南側に、佐伯一家が住んだ和風の母屋が建っている。
現在はテラスになっている部分。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
建物の北側から見たところ。
採光のためのガラス窓が、壁一面に取り入れられている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
天井まで続く大きな窓の前には、「下落合風景『テニス』」の複写がイーゼルに乗せて置かれている。
この絵は、「新宿区立落合第一小学校」が所蔵。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
続いて、建物に向かって左のドアから小部屋へと入る。
この部屋は、佐伯が作ったもの。
アトリエを建てた大工さんから贈られたカンナを使って、自ら洋風の小部屋を増築してしまったらしい。
佐伯の自慢は、関東大震災でアトリエには被害があったが、小部屋の壁は落ちなかったということ。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
ミニギャラリーには、「下落合の風景」を描いたパネルが展示してあり、さらに彼の写真や年譜が貼ってある。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
これは、佐伯のライフマスク。
ライフ、すなわち生前にとったもの。
アトリエを建てた時、白い漆喰の壁に使った材料が余ったので、仲間と作ったと言われている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
「下落合風景」1926年(昭和元)頃の作。
山手線最古のガードのひとつで、明治18年に「品川赤羽鉄道線(山手線)」が開通した時、すでにこの隧道(すいどう)は造られていたらしい。

佐伯祐三が、日本で描いたものは自宅から歩いて20分圏内の風景。
彼が残した「制作メモ」によると、僅かひと月で40点近くの作品を仕上げている。

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
こちらは、現在の様子。
帰りに寄ってみた。

パリで30年という短くも情熱を燃やし続けて生涯を閉じた佐伯祐三。
学生時代、友人から、「ずぼ」ちゃんというあだ名をつけられていたという。
「ずぼちゃん」とは、ずぼらだったから・・・という理由。
これは意外な一面、へぇぇぇ。
ヾ(*´∀`*)ノ マタネ!

新宿区立 佐伯祐三アトリエ記念館
*****************************************
【住所】東京都新宿区中落合2-4-21
【電話】03-5988-0091
【休館日】月曜(休日に当たる時は、その翌日)・年末年始
【開館時間】
*10:00-16:30(5月~9月)
*10:00-16:30(10月~4月)
【アクセス】
*西武新宿線 下落合駅 徒歩10分
*JR山手線 目白駅 徒歩20分